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当時の後援者が薩摩藩主の島津家、長州藩の毛利家といった大大名家であり、同6年、津藩主藤堂家のすすめで本所横綱町(現在の墨田区)に移り、藤堂家の下屋敷の一部を借り面積600坪で「花屋敷」を開設しました。盆栽通の伏見宮殿下もお忍びでやってきたり、先の伊藤博文や有名な実業家や奥蘭田らの煎茶と盆栽家もやって来て陳列場はあたかも社交場のようであり、雪城という画家の「香樹林」と題する軸を気に入り「香樹園」と自らを名乗るようになりました。二代目園主村田利右衛門は 明治二十九年月刊誌「盆栽雅報」を発行するなど盆栽・水石の普及に務めました。
圭司氏の父、三代目香樹園園主村田憲司氏は、東京盆栽組合(日本盆栽協同組合の前身)の組合長、(社)日本盆栽協会理事、日本水石協会理事などを歴任、水石のバイブルともいわれている『日本水石名鑑』や『盆栽鉢と水石』など著書は多数で、戦後の盆栽・水石界の復興に尽力されました。
香樹園4代目の圭司氏は大正15年に村田憲司氏の長男として生まれ、昭和39年樹石社を創立。月刊『盆栽世界』、水石月刊誌『樹石』の初代編集長として、水石、盆栽の普及に従事しました。『盆栽鉢と水盤』『趣味の水石百科』など著書は多数で、盆栽を幅広い層に広め、昭和の盆栽・水石ブームを牽引されました。月刊『盆栽世界』は現在も発行されており、圭司氏の精神は変わらず次世代へと引き継がれています。